人間どうせ生きていくのなら、「楽しく生きていたい」ですね。
緑溢れる初夏、イタリア中部にあるトスカーナ地方へ旅してきました。
旅から帰り、私の心に残ったさわやかな風は、トスカーナ全体を通しての「楽しく生きる」ということでした。
「楽しく生きる」には、美しいこの地を愛し、みんなとおいしいものを食べ、
そして発想の転換=ポジティブ・シンキングこそ ひとつの解決策ではないかと思いました。

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ピエンツァからの遠望


トスカーナは田園地帯にもかかわらず都市国家として、他の都市との戦争の歴史をたどってきました。
そのため町は高台にあり、街全体がぐるりと高い城壁に囲まれていました。
城壁から見る田園風景の眺望はすばらしく、時のたつのも忘れてしまいました。




ピエンツァの街の城門

街といっても人口1000人にも満たない集落ですが、ちゃんと城壁と城門があり、不相応な大きさの教会があり、メインストリートがあり、広場があり、繁華街がある。
町の設計そのものがすばらしい!





エルバ島へのフェリーから見る地中海

地中海の水は澄んでいて、抜けるような青さでした。
それに色見本で合わせたように、フェリーの救命ボートの赤と紺が光り輝いており、おしゃれそのものでした。




シエナのカンポ広場


カンポ広場は水平ではなく、水が一箇所に集まるようなお椀型広場です。
いろいろな人がそれぞれの方法で楽しんでいるのを眺めていましたが、私より上の人がいました。
絵の右下の女性は、双眼鏡で飽きずに街行く人をウオッチングしていました。





海から見たポルトフィーノ


とても小さな町ですが、世界屈指の富豪の別荘地といわれています。
なんといってもすばらしい自然環境に恵まれているだけでなく、もうひとつ重要な要因があります。
それは絶壁に囲まれた入り江にあるため、一般の方のアクセスが厳しく、そんな中でセレブたちが悠々と海からの大型クネーザーで入るという寸法になっているからです。
それにしても壁のオレンジと、木々の緑、海の青の配色に目を奪われました。




エルバ島のローマ時代の遺跡


古い遺跡で多くの方が探し物をしていたのですが、それは今は崩れてしまった建物の、壁に張られていたモザイクを探しているのでした。
彼女の持っている5o角のモザイクをひとつひとつ組み合わせて、どんな絵が描かれていたのでしょう。
撮影の後「記念にどうぞ(多分推測ですが)!」と、手のひらいっぱいのモザイクの石をいただきました。




チンクエテッレのマナローナ駅


チンクエテッレ一帯は海に面して絶壁が続き、その岩山にへばりつくように家が建っています。それだけではなく海の際ギリギリに電車の線路が続いていました。
イタリアの鉄道は時間がアバウト。その上改札口がないため、適当にホームで待ち、電車に乗り、そして降りる・・・日本と比較してとても大雑把と言いますか、おおらかなようです。




オルビエート近郊のぶどう畑にて


トスカーナはぶどう畑が広がり、ワイン通の垂涎の地でもあります。日本ではフラスコ型の瓶にこもかぶりの「キャンティ」が有名です。
人間一人一人の顔かたちが違うように、ワインも産地の土壌や気候の違いで、ワイン一本一本の味に違いが出ます。ワインを開けるたびにどんな味かドキドキするのが、なんとも楽しいものです。




ルッカの広場


歴史をひもとくと、トスカーナは都市国家として町と町との戦争が絶えず、それだけ各町の独自性が高かったのだと推測されました。そのせいか、各町ごとにはっきりした特色を感じました。
ルッカの町は東洋的な不思議な魅力が漂っており、中国は上海の下町を歩いているような錯覚に陥りました。




エルバ島マルチアーナの陽気なおじさん


私たちの女性グループは、町のパン屋のおじさんに 「・・・・シィニョーラ・・・・モルトベーラ・・・・・」 と話しかけられました。たしか シィニョーラは奥さん、モルトベーラは素晴らしい・美しい という意味ですから 
「なんと美しい奥さんたちだ!」と言っているようです。
逆立ちして見ても明らかにお世辞と判っていても、うれしくなるのが女性の性というものでしょうか。




移動中のバスから見たオルチャ渓谷


トスカーナは一面のなだらかな丘陵地帯。広い牧草地の中にポツリとマッチ箱のような家が建っています。
絵本のような絵になりましたが、それは絵本のような風景だからです。
イタリアは日本の80%の面積で半分以下の人口。日本よりずいぶんゆったりしていることになるわけですが、数字以上にゆつたりした気分になります。





エルバ島ポルトフェラーイオの町


「美」に関して日本とイタリアでは大きな相違があるようです。
日本人の美意識の巾は、本人の体とコスチューム、せいぜい自宅までに対して、イタリア人の美に対しての巾は、それにプラスして、住まいのある地域・町・国全体へと広がっているようです。
この灯台の見える町は、家々も美しいのですが、町全体が美しいですね。





シエナの町で見つけた悪魔?の像

不思議な彫刻を見つけました。羽と角がはえ、ろくろっ首に鎖が巻かれ、おまけに足には鎖・・・八方ふさがりのおじさんのようです。この像は何をアピールしているのか想像すらつきません。とはいっても、奇想天外のアイディアが素晴らしい。古い作品でしょうが、われら現代人のひ弱な発想を超えています。
旅先の小さな町の片隅で、小さな芸術を発見しました。それは私にとって心躍る大きな発見でした。




教会の塔から見たシエナの眺望


建物に囲まれた時計台が見える広場がシエナの町の中心・カンポ広場です。この広場に立つと、家々がギッシリ並び大都会を思わせますが、ここから10分も歩いて城壁の外に出れば、見渡す限りの緑の草原となります。
トスカーナは都市国家であるとともに豊かな農村でもあります。その二つが両立しているのが魅力のひとつでしょう。




ジェノバの公園にいた少女

何時の時代でも、世界中どんなところでも、子供はかわいいのですが、イタリアの少女が特にかわいいと思うのは私だけでしょうか。公園で髪を梳いていたお母さんとお子さんの了解を得て、写真を撮らせてもらいました。
人物・特に子供を写真に撮るには、写す前に了解をえるのが礼儀です。




早朝のオルビエート

旅のとっておきの楽しみのひとつが、日の出とともにホテルを抜け出し、ひとり見知らぬ町を彷徨することです。
この町へは深夜到着したのですが、いつものようにホテルを抜け出し、この風景に出会いました。
その時はじめて、ホテルは山の上にあることを発見しました。
朝の光に輝くトスカーナの大地が、目に染み入りました。心にも焼きつきました。




サンタマルゲリータリグレのブルドック


イタリアの犬はお店にも、レストランにもフリーパスで入れます。そのためとても行儀がいいのです。
わが家の愛犬「モモタロウ」と同じ犬とは思えないくらいです。
このブルちゃんは見た目は怖そうだけど、中身はサービス精神の塊でした。頼みもしないのに、しつこくお手をしてくれました。




モンテロッソのブーゲンビリアの花


モンテロッソの町は、原色に満ち溢れていました。 そうなのです! この町は鮮やかな原色がとても似合う町なのです。
空と海の青、木々の緑と色とりどりの花。家々の壁、持ち物・置物までが鮮やかな原色。
そして圧巻は、巨大なブーゲンビリアの花木でした。吸い込まれそうなピンクの鮮やかさに、頭がクラクラしました。




ジェノヴァの白の宮殿の大理石の階段

トスカーナの建造物や彫刻は、惜しげもなく大理石を使っていました。
これらの大理石はジェノヴァの近くに有名な採掘場があり、そこから産出されます。あの天才ミケランジェロなども素材探しに再三その採掘場を訪れたそうです。芸術家にとって材料がふんだんにあることは、とても心強く、制作意欲をかきたてるのではないかと思います。




シエナの街角で出会った老夫婦


老人たちはおしゃれで陽気でカッコいい。生き生きして見えるのは私だけでしょうか。
トスカーナの美しさは、長い歴史が息づいているからこそ美しいのです。
それは親が子に伝え、子が孫に伝え、孫がまたその子に伝える・・・。文化をしっかり継承せることこそ老人たちの大切な仕事であり、それこそトスカーナのかけがえのない財産を守ることでもあるのです。




サンガルガーノ修道院跡からの眺望

これまでトスカーナの田園風景は、城壁の上から見ているだけでしたが、田園に直接降り立って木々や草花を眺めるのもなかなかのものでした。
赤い花は「ひなげし」。印象派の画家クロード・モネの草原の婦人を描いた絵などに、この花が色を添えていました。




モンテプルチャーノの獅子像


壁に書かれた文字を辞書で調べてみると、MARZOCCO=フェレンツェ共和国の紋章・獅子の像 という意味でした。この像は、都市と都市の長い戦争を制圧したフェレンツェのメディティ家が、その統一の証として建立したものでしよう。

私たちの旅は、この獅子の元での旅でした。



 
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