私の生まれ育った故郷は、町まで6キロ、バス停まで1キロもある田んぼの真ん中の集落でした。
この年になると、少年時代の稲作の原風景に憧れ・求めている自分に気づきます。
日本各地を旅するうち、少なくなったとはいえ、まだまだすばらしい里山に出会うときがあります。
その風景は美しく、そして懐かしい。
それは私の、そしてたぶん日本の誇るべき原風景だと思います。

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京都府美山町に茅葺屋根の農家が点在しています。
この地は茅葺の家に趣きがあるだけでなく、家を取り囲む山・田・木々すべてのバランスが抜群なのです。




滋賀県高島市で出会った農家です。
この地は初めて訪れたのですが、はるか遠い子供時代に過ごしたような懐かしさを感じ
立ち去るのに躊躇しました。





千葉県鴨川市の大山の棚田には、都心からそんなに遠くないのに、すばらしい風景が残されています。
この絵の季節は3月末、田に水を張って田植えに備えているようです。





田植え間近の田んぼに水を入れている農夫に合いました。
夏には蝉の声が響くように、この季節は蛙の鳴き声の交響曲を奏でます。
うるさいはずなのに、静寂を感じるのです。





里山には夕焼けがよく似合う。
カァーカァーとカラスが鳴いて巣に帰り、一番星が光りだす。
こういう情景を子供の頃体験した自分を、幸せ者だと思います。





能登に旅したとき、この棚田越しに残雪の残る立山連峰が見えるはずでしたが、
あいにく深い霧がかかっていました。
しかし、この風景も美しいですね〜。





京都府見山町の茅葺屋根の風景は、家もさることながら環境との一体感がとても美しい。
古き良きものを守ろうとする「気概むが感じられる。





千葉・大山不動尊で出会った狛犬君です。
目一杯虚勢をはつてがんばっている姿は、愛嬌があり、ユーモラスでもありました。





千葉県の鴨川にある大山の千枚田風景です。
もう10回近く行きましたが、季節によりガラリと風景が変わるのに驚かされます。
この季節は4月初旬、田植え前なので田んぼに水をはられています。




煤で黒ずんだケヤキの梁がなんと美しいことか。
木の自然の曲がりをそのまま生かし、ガッチリと組み合わせた木に感動をおぼえます。
あの当時の「家」は「家族」の象徴であり、「家族」は社会の最も最小で最強の単位だった。




川崎の民家園では古い茅葺屋根の家がたくさんあり、多くの中・高齢者の方がボランティアで働いています。
この方は民具、といってもぞうりなどのわら細工を教えている方ですが、とても楽しそうでした。




都会と地域の生活者意識の大きな違いのひとつに、共同体意識の強さがあります。
自然相手の農業は、住民みんなの理解と協力・一体感がなければ成立しないからだと思います。




日本文化の原点は農耕文化、それも稲作文化だと思います。
食生活の変化と食料自給率の低下とともに、お米は単に食べ物のひとつとなってしまったのは、
何時の頃からだろうか。




稲作には水は必須の条件なため、まさに毛細血管のように隅々まで小川が流れています。
唱歌「春の小川」のモデルとなった場所は、東京・渋谷のNHKの近くだったとのことです。
昔は東京も里山だったのです。




山形を旅していてかわいい馬に出会いました。
そういえば私の子供時代、家族と言えば一家8人だけでなく、猫、犬、鶏、アヒルなどの動物など大家族でした。
近所の農家では、絵のような馬も飼っていました。





この風景は京都府美山で出合った風景です。山間にひっそりと息づいていました。
私の子供時代は当たり前の風景が消えていくことは、私たちの心に宿っていた大切なものまで消えてしまうような気がします。
私たちは大切なものを捨ててまで、どこへ行くのでしょう?











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