絵は感動を描くメデイアです。
このシリーズはタイトルの「心にしみる」とあるように、
日本の四季の何気ない風景を通してまさに心にしみる感動を表現することを
意図して描くシリーズにしようと思っています。

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子供の笑顔

小さなお子さんの笑顔って、理屈抜きの幸せ感を感じると思いませんか。
その笑顔を表現するには顔の表情のみならず、光の効果を表現することが大切で、ていねいに光と影を拾って描きました。




 


 
 

父と娘

子供が成長するにしたがって、親子の距離が広がり、特に思春期の娘は父親をあからさまに避けるようになります。
それだからこそ、この絵のような親子の風景がとてもほほえましく感じます。




 
 

     
 
凪の朝

水面が鏡のようになった内浦の風景で、水面に映る夜から朝へのグラデーションに感動して描きました。
水彩画でそのグラデーションを表現するのはとても難しいのですが、トレース水彩画では秘伝の手法があり、滑らかに
そして計画した色彩に忠実に描くことができます。
 



 

 

4人の子供 決めのポーズ

4人の子供がカメラに向かってポーズをとっているのですが、それぞれの子供がそれぞれの表情なのがなんとも面白い。
こんな個性的な子供も、成長するにつれて「没個性化」しないように、ちょっと期待している私なのです。




 


 
 

夜を待つ屋形船

隅田川からちょっと入り込んだ神田川沿いに、屋形船が並んでいます。
夕闇が迫る頃に出航となり、隅田川を下り、レインボーブリッジ・お台場を回り、夜の東京を堪能させることになります。
そんな昼の屋形船は、出番待ちの楽屋裏の役者のようです。
 




 

 

村のご神木

鎮守の森のご神木は、隣の角がとれて丸くなった石段が出来る前から、この地に立って村を見守ってきたとのことで、
圧倒的な生命力を感じるのは私だけでしょうか。
それを表現するため、葉の一枚、小枝の一本までもしっかり描きこむことで、木から発するエネルギーを表現しようとしました。






 

下町は猫の天国

猫は居心地のいい場所を発見する天才で、下町界隈は居心地の宝庫なのです。
何といっても家並みは複雑に入り組んでおり、その分居心地の良さもゴロゴロあるのです。
そして何といっても、下町は人情豊かで心優さしく、野良猫優遇の場所でもあるのです。
 




 

 

立ち上る雲

透明水彩では表現するテーマに得意不得意があり、不得意のひとつは、雲などの白を表現することです。
油絵や不透明水彩で「白」を表現するには、白い絵具を使えばいいのですが、
透明水彩では白色の絵具は原則使用せず、画用紙の白を生かすこと(つまり塗らないこと)で、「白」を表現することになります。
そのむずかしさがあるものの、だからこそ透明水彩独特の「味のある白」が表現できるのです。




 


 
 

鎮守の森

私の中学校への通学は、6キロの田舎道の自転車通学で、その一本道は鎮守の森の前を通らなければなりませんでした。
ある時、暗くなると白装束で白化粧の女が境内から出て来て、手招きをするという噂が持ち切りになりました。
とんなときに限って帰りが遅くなることもあり、鎮守の森が見えてくると、目をつむって全力走行で通り抜けたことを思い出しました。




 


 
 

川に飛び込む

私の子供時代はプールなどなく、それに海まで遠すぎるため、夏休みとなると近くに流れる大慶寺川に泳ぎに行きました。
その川は絵のような大きな川ではないのですが、水は冷たく流れは速く、唇が紫色になるまで泳いでいたのを思い出しました。




 
 

 

蒸気機関車のある風景

蒸気機関車を描いているうちに、車体や周りの風景もさることながら、白い蒸気と煙がとても重要であることに気づきました。
だって、白い蒸気は機関車が「生きている証拠」ですから・・・。





 

 

美山の春

美山は京都の北にあり、昔懐かしいかやぶき屋根の集落が有名ですが、私が訪れたのは春真っ盛りでした。
目には緑、耳にはカエルの大合唱、そして土の香り・・・、はるか遠い子供時代に帰ったような錯覚に陥ったのです。




 
 

 

新緑が目にしみる

富士山を代表する観光地として忍野八海が有名ですが、私は観光地化したあのチープな喧騒が大嫌いです。
しかしその忍野八海の湧き水を源流とする川を、ほんの数百メートル下るだけで、
小鳥のさえずりだけの静寂の中で、透き通った水と、新緑の美しさ囲まれた、とっておきの絶景が待っており、私は大好きです。




 


 
 

かわいい宇宙人たち

東京・原宿は私の青年時代は、仕事でのパートナーはここに事務所を構えていることもあり、足しげく通った街ですが、
久しぶりに訪れた原宿は、その頃とはずいぶん様変わりしていて、カラフルな服を着た宇宙人たちで街は賑わっていました。
でもこんなかわいい宇宙人も悪くはないな、と浦島太郎になった私は見とれてしまったのです。




 
 

 

山と川のある町

美しい山があり、清らかな川が流れている、そんな環境の町に住むなんて、ちょっと贅沢だと思いませんか。
よく見ると小さな駅舎が町の隅にあり、その線路をたどっていけば都会とつながり、日本のどこえでもつながるというのもいいですね。




 
 

 

稲村ケ崎から見た富士山

富士山は不思議な山で、毎日のように富士山を見ているのですが、その都度新鮮な感動を覚えるのです。
この絵の風景の場所は、国道134号線の稲村ケ崎の坂を登ったところからの風景ですが、
真正面にドカ~ンと現れる富士山は素晴らしく、しみじみ湘南に住まうことの幸せを実感できるのです。




 
 

 

祠のある風景

村人たちが自然への感謝を込めて手入れをしたのでしょう。
寒い冬なのですが、この祠の石仏は赤い衣を着て、お供え物と花が飾られ、静かにそして暖かく地域を見守っています。
そんな小さな優しい心が、日本人の心のふるさとかもしれません。




 
 

 

田植え前の水田風景

冬を過ごした田んぼは耕運機で何度も耕かされ、水を張れば田植えの準備ができることになります。
それは静止したような風景のように見えますが、かえるの鳴き声がやかましく、
やがて水の中におたまじゃくしの卵が見えることとなれば、本格的な春が訪れることとなります。




 
 

 

初冬の里山

稲作農家にとっては、春の田を耕すことから秋の収穫まで、忙しく体を酷使する日々が続きます。
しかし冬のこの時期は、農閑期という言葉通りの骨休めの時期、里山の風景も心なしかのんびりゆったりした風景となります。




 
 

 

朝は海岸を散歩

この飼い主の散歩の流儀は、愛犬の行きたいところに飼い主がついていくとのことですが、
愛犬はいろいろなコースをたどるものの、ゴールは決まって海岸を散歩することになるとのことです。
それは犬もそして彼女も海岸を歩くと、なぜかしら心が解放され、イヤなことが吹っ飛んでしまうからとのことです。



 


 
 

御茶ノ水駅

東京駅から押し合い圧し合いの中央線に乗っても、御茶ノ水駅に到着すれば、心がホッと癒されるのです。
都心にもかかわらず、車窓に緑の景色が飛び込み、目の前に大きな堀が広がります。
水辺の水鳥たちは大自然を満喫し、一瞬私たちは野山を駆け巡ったあの頃に戻れるのです。




 
 

 

法隆寺の土壁

法隆寺は聖徳太子により仏教伝来を目的として、7世紀に建立された世界最古の木造建築です。
寺の敷地内にあるこの土壁も、その当初もからのもののようで、あちこちが傷み、修復が施された跡があります。
私にはその傷や修復の跡が、日本に新しい価値観を定着させようとした古人の、苦労と執念の証のように見えました。




 
 

 

古い町並みと浴衣姿の女性

ずいぶん古い歌ですが、小柳るみ子の「わたしの城下町」に登場する女性のイメージを追いかけながら描きました。
それは少女から大人への途上段階の初恋に悩む女性の気持ちを歌っているのですが、
その中で「気まずく別れたの~♪」という言葉が何度も出てくるのですが、「う~ん、わかる!」と、深く納得するおじさんなのです。





 
 

 

野良猫たちの朝食

猫たちはいつものことながら、船が着く前から三々五々船着き場に集まってきます。
そして船が着くと、頑固おやじの漁師さんは、せっかくとってきた魚を惜しげもなく猫たちに切り与えます。
そして「アレッ、トラがまだ来てねえナ!、あいつは寝坊助だからナ」と、しっかり猫たちを観察するのも忘れないのです。
 







 
 

日本的美人を描く


心にしみる日本・・・と言えば、風景だけでなく美しい日本女性も描かねば片手落ちであることに気づきました。
というわけで、セーラー服がよく似合う若い女性を描いたのですが、こんな女性に見つめられて描くのは緊張するもので、
背中に汗しながら描きました。








 
 

祭の準備風景

その歴史ある寺に訪れたとき、祭を明日に控えて準備作業に大わらわでした。
電気屋さんだけでなく、お手伝いする町内会の氏子さんも、心なしかウキウキした気分で作業しているように映りました。





 

 
 

緋毛氈のある風景

京都・嵯峨野の鮎料理が有名な料亭の風景です。
赤い色は世界の民族衣装などに多用されていますが、緋毛氈の赤は日本ならではの赤で、四季の風景に実に似合うのです。





 

 

薪小屋のある風景


山間の集落に薪を積み上げた小屋を見つけました。
その薪はストーブに使うのか暖炉なのか、薪で燃える火で温まる生活をすること、それはとても贅沢なような気がしました。







 
 

祠(ほこら)のある風景


古くからの歴史を持つ村や街には、探してみればそこかしこに祠や地蔵様、道祖神などがあるものです。
これは昔から今に至るまで、日常の営みの中で「神様」と身近に接していたことの何よりの証拠かもしれません。
そんな「神」に見守られての日々の生活は、心豊かな生活に違いありません。





 


 
 

新緑の奥入瀬渓流


奥入瀬は十和田湖を源流としているため、圧倒的な水量があるのに、川幅が狭くて入り組んでおり、高低差もあるため、
随所に景観が待ち構えているのです。
透明で泡立つ水の色と、ブナなどの鮮やかな緑の色の対比が実に美しいのです。





 

 
 

光輝く雪国の朝


冬の雪国は寒くて不便で、ちっともいいところがないようですが、
その代わりといっては何ですが、ようやく雪も止み、珍しく晴れた朝は、目を見張るような素晴らしい風景が待ち構えています。
純白のウエディングドレスで着飾ったように、いつもの風景がとっておきの衣装で着飾っているのです。








 
 

三重塔の見える風景


天高くヒバリの声が聞こえ、夏草の香りがする・・・
はるか昔、子供時代にもこんな感覚を味わったかもしれない、そんな記憶の断片がよみがえってきました。





 
 

 
源平池の蓮と老人と子供たち

源平池とは鎌倉の鶴岡八幡宮にある池で、ぎっしりと埋めつくされた蓮の間から、時々大きな鯉が姿を現します。
八幡様には時々は参拝に訪れるのですが、この池に面した縁台で時間を過ごすことを楽しみにしています。
それは見事な蓮や鯉だけでなく、それを眺めて楽しんでいる人間たちの百人百様の様が実に面白いからです。
 





 

 
タチアオイの花

集落に通ずる一本道にタチアオイの花が咲いていました。
この花は村に訪問する人たちに、にこやかにほほ笑みかけて歓迎の意を示したり、
仕事を終えて帰宅する農家の方に、お疲れさんと声をかけたりする、そんな優しい花に映りました。
 





 

 
 

たそがれ時の伊根の風景

丹後半島の伊根の町は隅々まで美しく、感動しながら町を歩き回っているうちに、気がつけばすっかり夕闇が迫り、
目の前にこの風景が広がっていました。
夜のとばりの中で、家々の赤いともしびがとても美しいく、そして暖かい家族の営みを連想させました。





 


 
 

日だまりで手仕事をする農夫

この風景は実際の農家ではなく、生田緑地の日本民家園の風景です。
そしてその移築した農家の軒先で手仕事をしている農夫は、
定年退職の方がボランティアで農夫の格好をしてデモンストレーションしているところです。
ということは、もうこんな風景を探すのは難しくなったことを物語っいるのかもしれません。






 


 
 

菜の花と桜とローカル線

千葉県を縦に走るローカル線の「小湊鉄道」の風景です。
ここは過疎の地で日ごろは静か過ぎるのですが、この日に限って菜の花と桜の原色が風景を飾り、
それに加えて子供たちの歓声で、一挙に大賑わいとなりました。

 






 
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